昭和48年10月31日 夜の御理解
今日夕食の後、何時も久富先生に足を揉んで貰うんですけれども、一杯気しょくと一緒になって、何時も眠ってしまうんです。今日も眠ってしまって、久富先生が何時部屋を去られたか分からないくらいでした。御夢を頂いて目が覚めた。その御夢ていうのが丁度あの椛目のお広前の、前に原口さんていうお店がある。あそこの一門の方達が、色々それから、あの駐車場辺りの所に、高いこう電柱が立っている。
それにもうそれこそまばゆいばかりの大きな光を、椛目の宮崎さんそれとそれから勝美さんがはっきり分る、他に何人もおったようでしたけれど、あの電気の取り付けをやっておる所であった。そしてあの原口さん所に広島さん達にまあいうなら、信心のない方達という意味だろうと思うんですけれども、あんまり大きな電気が付いたから、眩いというて文句を云われておる所でした。
ところが今度は裏が広島さんの方になる訳ですよね、こちらの方から、裏の方の人達はあんまり大きな電気が付いたから後の方が尚暗ろなったち言いよんなさる、まあどちらにしてもその、まあ合楽に参りましてもそんな物を感じるんですよね。えぇがほんとにならそれで私共は良いと云う事でも、まあほんに信心の無い者ばかりと笑っておく、と云う事ではいけない。矢張りそれがその大きな光りのおかけで、成程大きな光りがこちらにぱあっと付いたら裏の方は返って闇が濃くなる様な感じがするんですよね。
そすと前の方はやっぱり、その見方では眩いごつなる訳なんですけれども、そう言ういうならば太陽の光のように、その大きな光りにならなければならないなと、云う様な事で先程目が覚めたんですけれど、ね。私達が信心頂いとるけんただ自分だけが有難い、というだけでは出来ん。矢張り誰から見られても、信心ちゃ有難いものだな、尊いものだなと云う様なね、それがただならあの、修養的的に通り一辺的な事で、では大した事はない。今日は是は皆さん読まれただしょうかあの。
昨日久留米、善導寺で頂いて参りました、お父さんとい言う、あの小冊子が。これ一辺どうり読ませて頂いたんですけれども。北野の先生が書いておられる中に、お父さんの、お父さんが素晴らしかったと云う事を、大変短気なお方であったけれども、だんだん信心のおかけで、矢張り気もなごうなったけれども、何時もその、夫婦間にいざこざが絶えなかった。そこでなら色んな事がありょったんです、そりでその親先生が有る時に考え付かれた。こりゃあ一緒に腹かくけんこげんなるとじゃけんね。
いっちょかったりごうし腹かこうち話し合いなさったと云う事をですね。本当素晴らしい思い付きをなさった事じゃあると言うて渕上先生が書いておられるんですよね。それ以来本当にあのおー親先生が腹立てなる時ににゃー親奥様がつーと表に出なさる、親奥様がぐすぐす言いなさる時には、自分はご神前に出ると言った様な風でその、まあ正面きって争いは無かったと云う事です。ですから信者にも手本になると云う事ですけれども。そういう例えばぎこちない演出でなくてね。
それ読みながら、丁度私が4次半に下がった時に、あの日田の綾部さんが参っておられましたから、久富先生と三人でお茶でも頂きながら話した事でした。そういう意味で久富先生ああた方は、二十年間椛目合楽の、それこそ私共の、裏表を知り抜いておられるけれども、私共の場合なんかはそういうなんにもないと云う事です。ね、まあその勿論掴み合うてけんかした事もなからなければ、どうこうならあの言うた。
まあ腹かいて怒る事もあるけれども、そのそれがあの、ひとっつもそんなら、今日は家内が具合がぷうっとしとるけんで、今日はならこっちがち云う様な事ではなしにね、まあとにかくあまりにも、是は夫婦だけの事ではない、親子の間だけの事ではない、いろんな場合に、あのーまあ言うなら、合楽でこの頃福岡の信者さん方がみえて、勝手な方へ行くとおかげを落とすと言う話しがあったそうです。
けれども、合楽の場合は裏へ入れば入る程、まあ当たり前といやあ当たり前の事ですからなあんでもないけれども、気が付くと裏に入れば入る程、成程とし云う物がありそうな感じ、是も私が頂いとるおかげですから、皆んなの目にはそう映じないかも知れない。けれども私が感じる所では、そう言うおかげを頂いてる。そう言うおかけであってこそ、本当はそれかもっと大きくなった時に、成程という合点の行く、おかげになって行くのじゃないかとおもうのですよね。
例えばそういう、演出的なことから、いうのであったら、演出の出来ない時の裏から見た時には、そのあっちにあんまり光りが付いたけん、暗ろなったと云う事になるし、光が付きゃ光りが付いたでまた、返ってですね、またうらやましがらせる様な、ものを周囲にかもす事になるかも知れません。成程信心が成就して行くと云う事はね、成程一生が修行だと言う風な信心に、今朝のご理解じゃないけれども、その身から打ち込んで取り組まなければほんなこつじゃないなという事を感じましたね、
どうぞ。